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【乱世の世】戦国時代って武士道に生きる格好良い武士ばかりじゃないんだ・・・裏切りだらけジャン・・・(補足あり) | 帰ってきたブログマンBTT

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タグ: 武士道  戦国時代  思想  真田丸  武田家  大河ドラマ  
2016年01月13日 14:44

コメント数: 5コメ
カテゴリ:
【乱世の世】戦国時代って武士道に生きる格好良い武士ばかりじゃないんだ・・・裏切りだらけジャン・・・(補足あり)

武士道に関するコメント

武士道は真っ直ぐに生きる男らしい生き様の「見本」であることが多い。だからと言って、当時の武士がそういう思想の元で生きていた訳ではない。「裏切りは卑怯」「主君と生死を共にするのが武士」という考えは全くなかったのである。実はその原型とも言える教えを説いたのは、意外な人物だったりする。その人物の心構えや家訓、その人物とその兄が作り上げた「決まり事」に注目したのが、天下人「徳川家康」だったりするんだな。その教えの数々は後に江戸幕府の礎となり、長い太平の世を作り上げていくのである。現代の礼儀正しい日本人の生き方の源流もその人物の生き様にあるのかもしれない。今回は武士道の原型となる人物と生き様を紹介しながらスレッドを紹介していきたいと思う。 By 帰ってきたブログマン

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ワイ、戦国時代が裏切りだらけと知って幻滅する


1:ななしさん:2016/01/11(月) 03:36:05.70 ID:JsxekELx0.net

武士が忠義に厚いとか嘘やんけ

武士道についてブログマン管理人が少しだけ

( *`ω´) <そういう時代だからこそ、一本筋の通った「武士道」という精神が「美学」として伝えられるようになった、と聞いたことがある。※実は西洋の美学である「騎士道」も似たような理由で広まった。「武士道」という教えは、恐らく江戸時代になってから広く知られるようになったのではないだろうか。その武士道の元になった教訓は、かの有名な戦国大名「武田信玄」実弟にあたる「武田(典厩)信繁」『武田信繁99条の家訓(甲州法度次第の原型)』だったりする。今年の大河ドラマ「真田丸」主人公『真田信繁』「信繁」という名前は、父・真田昌幸が憧れた勇将「典厩・信繁」から頂いた名前だったりするのだ。大和魂の代表的な行為である「玉砕精神」もまた典厩の最後の勇姿から来ているのかもしれない。偉大なり「まことの武将」。(参考:Wikipedia


武田信繁の補足

武田信繁:Wikipedia

武田 信繁(たけだ のぶしげ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏18代・武田信虎の子で、武田信玄の同母弟。
官職である左馬助の唐名から「典厩(てんきゅう)」と呼ばれ、嫡子・武田信豊も典厩を名乗ったため、後世「古典厩」と記される。武田二十四将においては武田の副大将として位置づけられている。基本的には甲府に在住して武田家の外交に参与し、合戦の際には信玄名代として軍事指揮権を発動し、先衆を統制する立場で出陣する立場であったと考えられている。

第4次川中島の戦いで兄・信玄を守るために討死する。享年37歳。信玄は信繁の遺体を抱くと号泣したと伝えられ、上杉謙信らからもその死は惜しまれたという。

江戸時代においても「まことの武将」との評価があるほど人気があり、嫡子武田信豊に残した99ヶ条にわたる『武田信繁家訓』(甲州法度之次第の原型)は、江戸時代の武士の心得として広く読み継がれており、江戸時代の儒学者である室鳩巣は「天文、永禄の間に至って賢と称すべき人あり。甲州武田信玄公の弟、古典厩信繁公なり」と賞賛している。(出典:Wikipedia




今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の主役になる「真田幸村」。本名は「真田信繁」。近年では大坂の陣で名乗った名前が「真田幸村」であるという説もあるそうだ。それを採用してくれると格好良いね。(出典:帰ってきたブログマン

3:ななしさん:2016/01/11(月) 03:36:34.69 ID:W+h7MGpGa.net

どこの世界も裏切りばっかやぞ

5:ななしさん:2016/01/11(月) 03:37:08.90 ID:ZdWE92AXa.net

裏切りだらけだからこそ数少ない忠義エピソードが輝いてそればかり強調されるんやで

6:ななしさん:2016/01/11(月) 03:37:11.87 ID:Q0YTl5gB0.net

自分が勤めてる会社が終わりそうだったら転職の準備するだろ

7:ななしさん:2016/01/11(月) 03:37:50.67 ID:pUGeLkaj0.net

三河節「俺たちは裏切らないぞ」

11:ななしさん:2016/01/11(月) 03:38:50.65 ID:kqo/22hJr.net

>>7
???「一向宗最高ンゴ!」


本多正信の補足

本多正信:Wikipedia

本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の重臣で、江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。

徳川家康が抱える鷹匠から身を興したが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。一時松永久秀に仕えた後に10年以上を流浪の身として送る。後に許されて家康のもとへ帰参し、以後はその知略をもって重用され、江戸開府後は家康、2代将軍秀忠の最側近として幕政の中枢にあり絶大な権勢を振るった。(出典:Wikipedia

23:ななしさん:2016/01/11(月) 03:41:01.60 ID:AhGloqmq0.net

>>7
本多正信・渡辺守綱「一向宗に鞍替えしたけど戻っていいすか?」
石川数正「出奔するンゴ」





8:ななしさん:2016/01/11(月) 03:38:01.27 ID:JsxekELx0.net

武田信玄が死んだらみんな裏切るとか酷すぎ


( *`ω´) <弟の典厩が死んでからジワジワと崩壊が始まっていた、なんて見解もあるようのです。現に信濃武士の反乱が、信繁死後に頻発するようになってます。その影響からか、信玄は「信濃」を拠点とした侵攻から「駿河」への侵攻へと切り替えています。本当のカリスマは誰だったのか、ですよね。

9:ななしさん:2016/01/11(月) 03:38:12.74 ID:vF5G0ynL0.net

むしろ戦国時代が裏切り全盛期やん
諸侯が王を裏切って家臣が諸侯を裏切った結果数百年の戦乱よ

10:ななしさん:2016/01/11(月) 03:38:44.48 ID:96tKil0Kd.net

近世に確立した概念を中世に当てはめるのはNG

12:ななしさん:2016/01/11(月) 03:39:19.37 ID:BTETNxswK.net

北条早雲と斎藤道三


( *`ω´) <道三は有能な武将ではあったが、土岐氏の功績と子・義龍の活躍を独り占めしてるだけって話もあります。ほらっ!信長の師匠は神みたいな人だった!の方が格好良いでしょ?

16:ななしさん:2016/01/11(月) 03:39:55.24 ID:WOe0THFI0.net

鎌倉武士のことだぞ

21:ななしさん:2016/01/11(月) 03:40:53.47 ID:W+h7MGpGa.net

>>16
頼朝「一族の裏切り怖いから全員皆殺しや」

17:ななしさん:2016/01/11(月) 03:40:02.05 ID:XiMmd7d50.net

まあ一族の命かかってるしな


( *`ω´) <信長が残虐非道になった原因も一族を殺されたことが事の発端ですからね…。家族を殺されればブチ切れますよ…。

18:ななしさん:2016/01/11(月) 03:40:07.23 ID:lODQxY8ap.net

戦国時代での忠義の士ってだれになるんだ?
三国志とかは結構いるけど

20:ななしさん:2016/01/11(月) 03:40:38.77 ID:lu7+dWJU0.net

>>18
徳川家臣団

27:ななしさん:2016/01/11(月) 03:41:32.95 ID:WOe0THFI0.net

>>18
そら三成よ

29:ななしさん:2016/01/11(月) 03:41:38.86 ID:1MNBbRMP0.net

>>18
鳥居元忠

35:ななしさん:2016/01/11(月) 03:42:57.98 ID:AhGloqmq0.net

>>29
元忠は忠臣だよな、ワイならあんな大群に包囲されたら伏見から逃げて処刑されとる

40:ななしさん:2016/01/11(月) 03:44:01.70 ID:1MNBbRMP0.net

>>35
わかる、そそくさと逃げるわ
おかけで岐阜城落とせたしホント素晴らしい

38:ななしさん:2016/01/11(月) 03:43:54.82 ID:96tKil0Kd.net

>>18
高橋紹運、山中鹿之助、土屋昌恒、木村重成
無数におるで

68:ななしさん:2016/01/11(月) 03:49:44.18 ID:kqo/22hJr.net

>>38
鹿さんは自分の毛利打倒の願望のために主君筋利用してると思う

89:ななしさん:2016/01/11(月) 03:54:39.55 ID:96tKil0Kd.net

>>68
お家再興っちゅう大義名分を掲げた時点で忠義の者として呼ばれてもええと思うで
内心尼子はどうでもよくて毛利憎しのほうが強かったとはワイも思うけどな

25:ななしさん:2016/01/11(月) 03:41:30.52 ID:AGLhV3KA0.net

武士道って平和な江戸時代にできたんだろ

戦国時代は山賊みたいなもんちゃうんか

124:ななしさん:2016/01/11(月) 04:02:37.43 ID:cbqVyc8/d.net

>>25
これだろな
徳川治世を固めるために編み出された実践倫理であって武士の本質やないんやない

28:ななしさん:2016/01/11(月) 03:41:33.96 ID:MWk2vvbUd.net

勝頼かわいそ杉内


( *`ω´) <信玄と典厩が育てた四名臣を頼らなかった結果…だと思うんですけどねぇ。四名臣を敵に回して信じた部下が無能だったとかなんとか。(三方ヶ原の戦いで)家康が恐怖で脱糞しちゃった武田最強の山県昌景に向かって(長篠の戦いで)「ビビってんの?」とか言っちゃうんだもん…。

34:ななしさん:2016/01/11(月) 03:42:54.39 ID:lJE2unsu0.net

真田が過大評価とか言われるけどちゃんと筋を通した人間は評価されるってことだよな
生きてるころから裏切り者とか言われる武将もおるし

36:ななしさん:2016/01/11(月) 03:43:05.52 ID:ZZVjz/5a0.net

真田丸、期待してなかったけど面白かったわ

やっぱり戦国時代がナンバー1!

78:ななしさん:2016/01/11(月) 03:51:16.98 ID:h6qV4fg10.net

武士的な忠義が美徳とされたのは主に朱子学で家光以降の時代やぞ

86:ななしさん:2016/01/11(月) 03:53:09.29 ID:H55gvA3Z0.net

命かかってんだから勝ちそうな方につくだろ

94:ななしさん:2016/01/11(月) 03:55:22.94 ID:X5ubKdp90.net

命かかってるからな

99:ななしさん:2016/01/11(月) 03:56:06.74 ID:8uKGGx/Pa.net

家族も信用ならんとかこの時代の人メンタル大丈夫やったんだろか

117:ななしさん:2016/01/11(月) 04:00:28.88 ID:BTETNxswK.net

爺さんと舟遊び中に溺死する奴


( *`ω´) <「宇佐美定満」のそれもデマっぽいんだよなぁ…。甲斐の武田信玄の軍学である「甲州流」が将軍家の軍学でトレンドだった。紀州藩藩主「徳川頼宣」は、その「甲州流」に対抗しようと、信玄のライバル謙信の「越後流」を取り入れようとした。そこで「宇佐美定満」を神格化してウソの「越後流」を作り上げてしまったという訳なのさ。「宇佐美定満」の忠臣キャラもウソの可能性が高いそうな。非道い話だ。

125:ななしさん:2016/01/11(月) 04:02:40.82 ID:h6qV4fg10.net

島津忠義「ワイのことやで」



島津忠義の補足

島津忠義:Wikipedia

島津 忠義(しまづ ただよし)は、幕末から明治時代の大名、華族。薩摩藩の第12代(最後)の藩主で、島津氏第29代当主。官位は従一位参議。勲等は勲一等、公爵。

幼名は壮之助。通称は又次郎。元服後の初名は忠徳(ただのり)だったが、藩主在任中は茂久(もちひさ)を名乗る。なお、忠義は維新後の慶応4年(1868年)1月16日に改名した諱である。(出典:Wikipedia







131:ななしさん:2016/01/11(月) 04:04:37.75 ID:6Jxwr0G40.net

ただ殉死の習慣は戦国時代にはあったからな
別に忠臣がいなかったり忠義の発想がなかったわけやないだろ

160:ななしさん:2016/01/11(月) 04:08:15.72 ID:h6qV4fg10.net

>>131
ワイらは家の内側内衆の裏切りと大名家同士裏切りの峻別がガバガバなんかもしらん

132:ななしさん:2016/01/11(月) 04:04:40.57 ID:u6nBx3iA0.net

人質が通用するってことは、それだけ女や子供を大切にしてたってことやけどな


( *`ω´) <動物も家族愛に近い行動をとるんだし、本能的に身内に愛情は注ぐと思うッス。

137:ななしさん:2016/01/11(月) 04:05:02.40 ID:8udqCOay0.net

戦国時代のなんでもあり感がたまらんやん
完全実力主義で目上の人間でも使えないとわかれば裏切る

148:ななしさん:2016/01/11(月) 04:06:35.38 ID:ZH+1zFnJM.net

穴山信君と三浦義村の手のひら返しは本当に酷いと思う
擁護のしようがないほどのクズ

164:ななしさん:2016/01/11(月) 04:08:37.18 ID:u6nBx3iA0.net

>>148
小山田信茂の裏切り方嫌いだわ
希望を見せて裏切る畜生


( *`ω´) <小山田信茂は独立勢力みたいなモノだから、部下の裏切りとはちょっと違うかな。譜代家老衆ではあるが。裏切りといえば…「奸臣」の「跡部勝資」と「長坂光堅」も挙げられる。この二人は勝頼の重要側近でありながら、甲州征伐が始まると勝頼を見捨て逃亡した非道い人たち…という逸話が残されている。(高確率で逃げてるっぽいけど。)この人たちを信じて、武田四名臣を冷遇した武田勝頼はなかなか有能かなと。

187:ななしさん:2016/01/11(月) 04:14:34.22 ID:RH4E2PZv0.net

>>164
なお、小山田は自分も希望を見たあと切られた模様


( *`ω´) <穴山信君の最期もけっこう非道い。本能寺の変で家康と共に伊賀越えをしていた際に家康を疑い別行動を取ったところ、一揆に襲撃され殺されたと言われている。裏切り者に相応しい最期だな。別行動だっただけなのかもしれないが。

194:ななしさん:2016/01/11(月) 04:15:47.16 ID:u6nBx3iA0.net

>>187
サンキューノッブ

157:ななしさん:2016/01/11(月) 04:07:47.60 ID:gythTnJAK.net

そろそろ跡部を忠臣として認めてやってくれませんかね


( *`ω´) <ガチで逃げたっぽいんだけどな…。誰か詳しい人ぉ-!

158:ななしさん:2016/01/11(月) 04:07:51.31 ID:6uD2akTF0.net

真田丸甲冑かっこよかったわ
やっぱ戦国物は美術面でもええな

169:ななしさん:2016/01/11(月) 04:09:19.91 ID:ZW1mClhC0.net

>>158
結構金かかってそうやったな
赤備えはオシャレ風で最初は大鎧系とか


赤備えの補足

赤備え:Wikipedia

赤備え(あかぞなえ)は、戦国時代の軍団編成の一種。具足、旗差物などのあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成の事。

■武田の赤備え
飯富虎昌・山県昌景の両者は『甲陽軍鑑』において武勇に秀でると共に武田家及び武田軍の中心として活躍した武将として記されており、両名の活躍が赤備えの価値を高めたと言える。

■真田の赤備え
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣において真田信繁(幸村)が編成した。(出典:Wikipedia


( *`ω´) <戦場を疾駆する姿は「赤い大津波」の如し。この例え、格好良いですね。

161:ななしさん:2016/01/11(月) 04:08:24.68 ID:GBIWdPa+0.net

前田慶次が180cmもあったとか大嘘なんだろ?
176のワイがおったらそれこそ無双できそう

186:ななしさん:2016/01/11(月) 04:14:20.27 ID:8udqCOay0.net

>>161
戦争は身長低いほうが有利

189:ななしさん:2016/01/11(月) 04:14:50.42 ID:AhGloqmq0.net

>>186
山県昌景「やったぜ。」


( *`ω´) <山県昌景という武将は、身長は130cmから140cmの小柄な武将でした。だけども戦場に立つとウソのように強かった人物です。

173:ななしさん:2016/01/11(月) 04:10:21.33 ID:1qPksmo90.net

偉大な父を持つ二世の話ってのも真田丸のキモらしいけど、そういう意味でも平岳広はうってつけなんやなあ
しかしいい勝頼やった。次でもう死ぬんかな…

191:ななしさん:2016/01/11(月) 04:15:17.32 ID:cbqVyc8/d.net

>>173
血統がいいゆえの悲哀が役でも人でも完全に演じきれとったわ
たぶん世評もいいだろし次回大河は主役級だろな

197:ななしさん:2016/01/11(月) 04:16:04.63 ID:6Jxwr0G40.net

真田丸は大野、後藤、毛利勝永、真田大助あたりの配役が気になるわ
毛利勝永は真田クローズアップものだとけっこう出番がなかったりするけどどうだろか

209:ななしさん:2016/01/11(月) 04:18:45.31 ID:ONVt2TUQ0.net

しかし勝頼は父親にあんな扱いされてて恨まなかったんだろか
旗印も使えないのは可哀想やと思ったで


( *`ω´) <前述通り、典厩信繁が戦死したことで信濃を拠点とした飛驒攻略や越後攻略が困難になった。挙げ句の果てには信濃武士の反乱まで…。軍事関連の司令塔でありカリスマがいなくなったんだから当たり前なんだけど…。結果、親戚の駿河今川家を攻略しようとしたら嫡男の義信が謀反を起こして死亡。そのシワ寄せが全部、臨時で世継ぎになった諏訪勝頼にきちゃってるという話なんだな。立場の弱い勝頼が信玄の遺言を守らずに大将ヅラをして意地を張った結果、独立勢力の寄せ集めだった武田軍団は崩壊しちゃったってお話なんだね。

216:ななしさん:2016/01/11(月) 04:21:27.39 ID:RH4E2PZv0.net

>>209
恨んでいたとしても、その意向を最大限使わなきゃ信州甲州をまとめられなかったんだから仕方ないだろう


( *`ω´) <信玄の遺言は「自分の死を三年間隠せ。上杉謙信と和睦して力を借りろ。」だったそうです。バレバレだったので、隠す意味は無い上に他国からガンガン攻撃されてたので戦うしか無いのですが…勝頼は信玄の遺言を守るつもりはなかった…ようです。

211:ななしさん:2016/01/11(月) 04:19:48.64 ID:Z9Rk9TxgM.net

武士道ってのは儒教からくるもんで
日本で儒教の思想教育をしだしたのは江戸時代になってからで、本格的なのは生類哀れみ令
だから戦国時代の侍と江戸時代の武士とは別物
戦国時代の思想は仏教と神道で今で言う武士道なんてないし侍があーなるべきとかないから
だから儒教の影響がないから戦国時代は女の地位も高かった
アホな歴史小説家は今の武士道で当時の戦国時代を描こうとする
そら文化的には今の日本は東山文化から来ているけど思想道徳的な価値観は江戸時代の物よ
戦国時代の日本人は日本人が想像している日本人じゃない
もっと野蛮で合理的に動いていた

220:ななしさん:2016/01/11(月) 04:22:34.16 ID:8A6/Zgz80.net

本能に忠実

226:ななしさん:2016/01/11(月) 04:24:24.77 ID:1qPksmo90.net

信玄が生きてたころ勝頼がどう思ってたかはわからんけど、
死んでからは親父が放火しまくったせいで生き残ることに必死になるしかなかっただろな
生まれ育ちよりむしろあの状態へほっぽり出されたことを恨みたいかもしれん

228:ななしさん:2016/01/11(月) 04:26:00.48 ID:3LDxkiR2d.net

いうても勝頼は長篠で歴史的大敗した戦犯やし多少はね

232:ななしさん:2016/01/11(月) 04:28:22.21 ID:AhGloqmq0.net

>>228
あの時に合戦やらず新府作ってたら…
状況からして戦わざるを得なかったのはわかるんやけど

242:ななしさん:2016/01/11(月) 04:30:31.24 ID:cgbuFgUqM.net

長篠合戦の敗戦は失った兵士や譜代の家臣だけの被害より
甲信の国人が動揺してしまった事のほうがダメージでかそう

257:ななしさん:2016/01/11(月) 04:35:11.77 ID:8R/EkqpX0.net

>>242
信玄は甘利とか板垣が敗死したおかげで権力上がった説あったけど
勝頼も長篠のときに後々裏切る一門連中が死んでたらどうなってたかてところやな


( *`ω´) <その裏切った連中に睨みが利く人物が長篠の戦いでことごとく戦死しちゃったので、敗戦後の立て直しが全く出来ず、ズルズルと弱体化しちゃったみたいです。ぶっちゃけ勝頼も戦死した重臣たちも鉄砲の威力は知っていたので、勝てないとわかってて突撃していったんですよね…。勝頼が突撃を強行したんですけど…。重臣たちは大将の勝頼に失望してしまい、そこを死に場所に選んだのでしょうか。

256:ななしさん:2016/01/11(月) 04:34:37.82 ID:cgbuFgUqM.net

勝頼は被害者だと思うわ
失策多いけど信虎晴信時代のつけが全部勝頼に来たイメージある

260:ななしさん:2016/01/11(月) 04:36:10.47 ID:cgbuFgUqM.net

諏訪高遠穴山保科木曽 全部裏切っとるやんけ!

289:ななしさん:2016/01/11(月) 04:45:33.78 ID:LZ29qDQ8a.net

>>260
諏訪と高遠は組み入れられた経緯が既に遺恨あるからまだ裏切るのも理解できるけど小山田と穴山はいかんでしょ

266:ななしさん:2016/01/11(月) 04:38:09.28 ID:bE1bI6ml0.net

村上義清が信繁討ち取ったんだろ?
村上の子孫山浦になってからどないなったんや?


( *`ω´) <猛将・柿崎景家って説もあります。

270:ななしさん:2016/01/11(月) 04:40:13.95 ID:lu7+dWJU0.net

>>266
細々と続いてたような気がする

285:ななしさん:2016/01/11(月) 04:44:23.66 ID:P/AjekjZ0.net

当時の上杉がキチガイ扱いされる理由がなんとなくわかる

291:ななしさん:2016/01/11(月) 04:47:00.80 ID:ZW1mClhC0.net

まぁ、江戸時代以降
基本的な道徳観として定着はしてくんだろうけど

318:ななしさん:2016/01/11(月) 04:55:10.79 ID:gythTnJAK.net

真田→御家存続
小山田→信長に成敗される
穴山→伊賀越えで死亡、後継ぎもすぐ死んで断絶
木曽→息子があれで数年で改易


どうなるかわからんよな

324:ななしさん:2016/01/11(月) 04:58:08.94 ID:ZW1mClhC0.net

>>318
信繁の直系もずっと残ったて最近知ったわ


( *`ω´) <武田信玄の次男「海野竜宝」の家系じゃないかな?

322:ななしさん:2016/01/11(月) 04:56:53.03 ID:Ish6z7p6a.net

唯一織田徳川に抵抗した仁科盛信すき


( *`ω´) <武田信玄の五男。メチャクチャ粘った。

330:ななしさん:2016/01/11(月) 05:01:03.53 ID:gythTnJAK.net

>>322
唯一ともいえる戦闘だったのに高遠城のたの字も出なかったンゴ

62:ななしさん:2016/01/11(月) 03:48:39.48 ID:7OADzgd20.net

現代人が思ってる侍とか武士道は江戸時代に作られた虚像やぞ


( *`ω´) <その教えの原型となった人物は存在したんだけどね。




( *`ω´) <武田信繁「他人を陥れるため、悪口をいう者を許してはならない。」

ネタ元: ワイ、戦国時代が裏切りだらけと知って幻滅する
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武士なんてのは武将級は今でいう独立事業主で主従関係っていっても同盟関係で、織田家に比べたら武田家は同盟色が強かったから、いざトップの武田家が傾いた時に各家臣が自家保存にはしった。
ただそれはどの大名にも言えることで、信長が死んだ時の織田家どころか幕末に幕府が怪しくなった時には旗本がほとんど働かなかった。
裏切りも何も、親子兄弟で刃を交えるのが当たり前の時代だからな
明日を知れぬ戦国の世、生き延びる為に取れる手段はなんでもする
主家滅亡後、仕官先を渡り歩くのも珍しくないし
高遠城は森長可のせいで色々ひどすぎるんだよなぁ
>現代人が思ってる侍とか武士道は江戸時代に作られた虚像やぞ

江戸時代に実在したんだから虚像ではないだろ
現代に残る武士道の忠義・道徳観は江戸時代の価値観です。

戦国時代の武士道は、当代の名将と謳われた朝倉教景(宗滴)の名言に集約されます。

「犬と言え、畜生と言え、武士は勝つ事が本にて候」

(強者に尻尾を振る)犬と罵れ、
(汚い言動を見て)畜生と罵れ、
(誰に何と言われようと)武士は勝つ事、勝ち馬に乗る事こそが本分である。

戦国武士は領主であり、己の立ち回次第で領地に攻め込まれ家臣・領民がこの世の地獄に落ちる事になります。
どんな手を使ってでもこの事態を防ぐ為に、強者に鞍替えし、強者に媚び、領地と領民を守り切る事。
これが模範的な戦国武士であり、戦国時代の武士道だったのデス。
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【報告】
ごめんなさい。ブロマガ通りました。移転します。堅苦しいネタはやめてライトなネタ中心のまとめでやっていこうと思います。
(FC2の二次元規制から解放されるので)

デザインを依頼したのですが、二ヶ月経っても全く作業が進んでいなかったので、一度移転作業を打ち切りました。他にも色々とあるので、落ち着くまでいったん移転作業を保留にしたいと思います。
アユネットドットコム
↑それまでこちらで楽しんで頂けると有り難いです。

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